最初、題名を見たときに、堀江さんが書いた本ということもあり、日本の教育の在り方をとことん、こき下ろす類の内容かと思ったが、そうでもないような内容であった。
うわべだけ斜め読みすると確かにそう。
こてんぱんにこき下ろしている。
学校という教育現場も地元愛も。
でも、ちゃんと読んでみると伝えたいのはそうではないようだ。むしろ、自分のことをしっかりと考えるヒントをくれる。自分を持たずに安直に反抗することだけを勧める本ではないことがわかる。
これはもちろん、教育する側(学校、親)への問題提起も含まれているのだと思われる。
言われてみれば、確かに今の社会はあまり尖っていない平均的な人材の方が組織として動かしやすい。(そういえば、最初の会社名オンザエッジでしたね)その一方で、人間には個人差があるから、どんな人間でも無難に生活をしていける船団護送的な社会を目指すのであれば、平均的で尖っていない人間の方が扱いやすい。
だって自分も尖らないように矯正されてきたのだから。
個人個人の特性に左右されることなく、学校教育で教えられた常識で、会社に入っても部下を指導していけばいいのだから。
ガバナンスの面では、それでいいのかもしれない。
でも、それゆえに飽きっぽい人間はその自分が踏み入れた船団護送社会の現状に不平不満を言い出すんだろうね。
飲み屋で愚痴るぐらいならいいけれど、不満がたまりすぎるといいことはない。
話は変わって、この中で「没頭」というキーワードが出てくる。
これは昔を思い出した。
そうだよ。
夢中になれること。夢中になることは誰にでもできることなのに、いつしかそれは封じてしまう。特に仕事に対しては。
これができれば人間は確かに強い。やらされる我慢と目標をつかむためのプロセスにある我慢は同じ質の我慢ではないと思うし、同じ苦労や我慢をするのであれば、後者の方が絶対にいいに決まっている。
また、金を持っているからできるんだろ、とも思うが、やりたいことをやるのに金がかかるからたまたま金が必要という話も決しておかしな理論ではない。(人によっては、論点のすり替えと揶揄する人もいるだろうが)
堀江氏の文章は刺さる人にはとことん刺さる。
この書にもっと早く出会いたかったなとも思ったが、そんなことを言ったら、年齢で限界を勝手に作るのも日本の教育により構築されたシステムの洗脳によるものだなどと、あきれられるかもしれない。
これと、セットで人生の勝算とか読むといいかもしれないですね。覚悟をもって没頭できる才能がある人は。
ところで、同じことをずっと続けることと、没頭すること。
自ずから同じことを続けるということはまさに没頭ではないか。
まさにイチロー。
自分は野球の研究者になりたいと言った。
のらない日もあろうが、目標に向かってコツコツやって成果を出している。
勤勉な日本人の国民性の美談としてよく取り上げられるが、おそらく彼はそんなことは微塵も思っていなくて、ただ、没頭しているだけなのだろう。
見方がちょっと変わったかもしれない。
小学生から40年近くひとつの事に没頭し続けているイチローはやっぱりすごい。
なお、この本、太っ腹にも、prime readingの対象です。

すべての教育は「洗脳」である?21世紀の脱・学校論? (光文社新書)
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