高校野球が終わった直後の週末。
夏の終わり感が少しずつこみあげてくるわけで。
さて、ここ数年、高校野球を観ていると左のいい投手が多い。
バッティングについては、一歩分、一塁に近い物理的な距離の優位と、スイングの一連の流れに逆らわずに一塁側への一歩目を踏み出しやすいことなどから、右利きでも左打ちに変えることも多い。
また、これらの変更(矯正)も若いうちからであれば比較的容易だ。
ところが、投げる方になるとこれがなかなか難しい。
全体の投球動作もさることながら、指先の細かな制御も必要になるからである。
日本人の左利きの割合は10%程度だといわれている。
感覚的にもそんなものであろう。
とはいうものの、日本人はもともと農耕民族であったから、左利きの割合がもっと多くてもいいような気もする。(心臓をガードするために盾を持つ手が左で、武器を振りかざす利き手が右なんて説もありますよね)
もちろん、子供のころから矯正されている場合も多い。
だって、世の中は左利きには非常に不便にできている。
横書きの場合は書いた字に掌があたり、かすれたりもするし、縦書きでも、とめ、はね、はらいは右利きに有利にできている。
万年筆文化の欧米なんか特に顕著に表れる。万年筆なのに滑らすようには字を書けず、突くようにガシガシと引っかかりながら書かなくてはならないからだ。
ステーショナリーは書くだけではない。ハサミも定規もほとんど全部右利き向け。
食事の時もそうだ。
昼時になったから、手早く食事をとろうと、ラーメン、吉野家、立ち食いソバなどのカウンター形式の店も右利き向けだ。だって、隣で食べている人は右利きが大半だから、ちょっと狭い詰めた店だと腕が当たりやすく、非常に窮屈そうに食べることになる。
そもそも、和食の作法なんて、配膳も焼き魚の向きも全くもって、右利きのことしか考えていない。
だいぶ話が脱線したが、左はなかなか大変なのだ。
そんな一方で、野球は左利きであることが有利と思う節もあるが、そうとは限らない。
なぜならポジションが限られ過ぎる。
普通に考えれば、左右の比率は1対9の割合なのだから、右の方が稀有な才能の投手が出てくる確率が高い。母数が多いのだから当然である。
ゆえに、左腕は右腕に慣れた打者相手の打ち難さに価値を見出すことが多かった。
もちろん、伝説級の左の剛腕ピッチャーもいるけれど、絶対数は多くはない。
ところが、ここ最近、特に昨年、今年と絶対的な力量でいっても左の方が上のようである。
推察するに、左利き個性として受け入れ、昔ほど矯正していないこともあるが、もう一つ、野球の場合、左は投手以外では外野か一塁しか守れるところがないというのがセオリーだから、必然的に投手向けの練習が多くなるからではないかと思われる。
その一方で、選手数が少なくて、左投げのサードなどという記事が、ちょっとしたニュースになったぐらいだから。それぐらいポジションが限られ出場機会が失われるリスクはある。
また、実際のところ、打者は右も左もそれほど偏りがないので、ピッチャーは左利きが有利ということでもない。
いろいろ考えると、野球をするにも左投げにこだわるのは、守れるポジションが狭められる分、ちょっとした賭けなのかもしれない。