先日、防水Xperiaがまさかの水濡れ浸水被害にあいました。
ドコモショップにすぐに行く時間もなかったため、丸1日ほど、スマホが使えない状態を体験しました。
そのおかげで、久しぶりのデジタルレス体験です。
いわゆるスマホのない通勤電車です。
普段であれば、ちょっとでも時間ができればおもむろに左胸のポケットに手を運び、スマホを取り出しては、とりとめのないことを調べてみたり、ニュースサイトでニュースをチェックしたりするわけですが、それができない。
もちろん、はてなブログもチェックできません。
これがなんというか不安感がじわじわ湧き出てきるのです。
もしもこの感覚が続くのであれば、
― 私は病気(依存症)か? ―
とちょっと心配しました。
通勤電車を片道分乗り切るころには、気にならなくなってきたので、
まだ依存症にはなっていないようです。
スマホの無い生活で気付いたこと
スマホのない生活でとは言っても、たかだか1日足らずです。
大きなことは言えませんが、それでも、意外なところで気づくことがありました。
- スマホのニュースは読んでいるようで細かい内容は頭に入っていない。
- 検索も別に必要なことは検索していない。
- 無ければ無いなりに過ごせる。
1.スマホのニュースは読んでいるようで細かい内容は頭に入っていない。
新聞や雑誌と比較すると視野の面で狭すぎるのでしょうか、読んだ後に残る情報の量が明らかに違いました。
新聞や本などの紙の媒体で活字を読むことはとても重要です。
もう一つの原因として、スマホで見るニュースは最近では必ず写真が入っており、それを見ることにより、あたかもニュースの内容がわかったかのように錯覚してしまうのではないかとも思いました。
文字をちゃんと読まないと詳細はわかりませんよね。
2.検索も別に必要なことは検索していない。
暇さえあれば何か検索していましたが、スマホが手元にないことが認識できると、とくに検索したいような言葉や単語は浮かんできません。
さらに、今、手元のスマホの履歴を見ても検索したことは覚えているが、それが役に立ったのかは、甚だ疑問のワードばかりで、おそらくは検索という行動自体が暇つぶしの目的だったとも言えそうです。
3.無ければ無いなりに過ごせる。
スマホがなければそれなりに過ごせます。
昔の車内での時間の使い方を思い出してみると、文庫本を読んだり、窓の外の景色を眺めたり、頭の中で今日やることを整理したり、ただただ、ぼーっとしたり、昨晩の勉強を思いかえしてみたり、週末の遊びのプランを考えてみたり、頭の中だけでもいろいろなことができたはずです。それに比べたら、スマートフォンばかりをいじっているのは、暇つぶしにはなるけれど何も残らない割合も多いのかなと思いました。
この感覚はブームになるかもしれない
たった1日の間のスマートフォンが無い生活を送っただけで、いろいろと気付いてしまうことがありました。でも、もともと、これは私たちが普通に知ってたはずなのに忘れてしまっていた感覚でもあります。
10数年前にはスマホなんてなかったのですから。
こんなにいい経験は、きっと私たちに役に立つので広めなければならない。
なんて使命感が湧いてきたりして、そのためには何か名前を考えよう。
これは、そうだな、情報に飢えているからスタービングか?
いや、不要なものを取ってみることだからデトックスか、、。
「そうだ、デジタルデトックスだ!」
なんて、言葉に閃いて、若干興奮したのですが、すでにある言葉だそうです。
スマホが水濡れというアクシデントに見舞われたことによる、けがの功名みたいなものですが、おすすめはできます。デジタルデトックス。