一昨日、お題スロットを回してみたら、「卒業」だったのだけれど、今週のお題「卒業」となっていたから再投稿してみた。こんな偶然あるんですね。
曲とか、文学、なにかの行動、風景、食べ物、とにかくジャンルを問わず、とにかく卒業。
卒業と聞いて何が思い浮かぶかでその人の年代がわかるという。
そうすると、大体、僕らの年代は尾崎豊が思い浮かぶ。はずだ。。
ちなみに”制服の、胸のボタンを~”の斉藤由貴と、
尾崎豊の卒業はリリースが1か月しか違わないのは豆知識。
尾崎の「卒業」
"行儀よく真面目なんてできやしなかった”
って、あれです。
"夜の校舎、窓ガラスこわして回った。”
とかはしなかったけれど、
"この世界からの、卒業”、"闘いからの卒業”
って、あれです。闘ってはいないけれど。。
でよくよく考えてみると、年代的に全然ラップなんてしていない。
あの曲1985でしょ。もう30年前の曲なんですね。
僕らは小学生とかそんなもんですよ。
「15の夜」の方が若干近いのかな?
でもバイク盗んだり、煙草なんてふかしたりしていなかったし、
共感できるような行動は何もしていないんだけれど、
でもなぜか僕らの年代は尾崎にみんなが熱くなる。
なんででしょう?
カラオケに行っても尾崎は鉄板だ。
サラリーマンなら大体忘年会やら何かの打ち上げだかの飲み会の後、
2次会、3次会と続くと酒を味わうのにも飽きてきて、乾き物と安ウィスキーの水割りがひたすら出てくる行きつけのババアの店とかにたどり着いて、
カラオケを始めるんだろうけれど。
尾崎豊がかかれば、40代は、もうみんな涙流して、テーブルが違うとか関係なしに一緒になって絶叫しているから。
ホント、バカみたいだけどそんな感じ。
まあ、でもこういう曲を作れるってすごいですよね。
今もすごく流行っている曲がいっぱいあるけれど、
例えば20年後、30年後になって、それが懐メロとして復活できるかって話だ。
ほとんどそうはならないって断言できる。
今の曲は浮かぶ情景が、若いときのほんの一瞬の刹那ソングばかりなのだ。
そしてかっこつけすぎだし、さらっと流すのを是とする曲作りをしている。
その点、尾崎の曲は残る。かっこつけているようで、不器用な男子を描いている。オンタイムで尾崎の歌を聴いていた側としては、本当に悩んでいたかどうかはわかんないけれど、なんだかそういえば、こんなことに不満もあったし悩んでいたような気もするな。なんてところで共感をしてしまうのです。昔こんなことで悩んでいたのかな?とか思うと、ここぞとばかりの青春の思い出の引き出しを開けようと試み、懐かしみ、なんだか涙も流したい気分になるよ。
それと、変に怒鳴り気味に歌えるのも、今となってはストレス解消にもいい。
そこまで考えて曲作りをしていたのかというと、きっとそうではないと思うけれど、本当に、歌っていて気持ちいいし、聞いていても懐かしさがこみあげてくる。
そんな素晴らしい曲たちを残してくれた尾崎最高。