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サラサラ行こうね。

ストレス社会にサラサラした生活を

社畜って言葉、そろそろやめない?


社畜ってなに?

ニュアンスからして、あまりいい言葉ではなさそうだ。

それに見ていて気持ち悪い。

世間一般にオーソライズされている意味がよくわからないから調べてみると、余計に混乱した。
「会社に飼い慣らされて一般的な倫理観が無い状態」
by はてなキーワード
とか
「勤めている会社に飼い慣らされてしまい自分の意思と良心を放棄し奴隷(家畜)と化したサラリーマンの状態」
by Wikipedia
とか、
なんですかこれ?
 
「会社に飼いならされる」
「良心、倫理観が欠如する」
そういうサラリーマンのことを言うんですか?

 どんな状態?

飼い慣らされているって、どういう状態なんだろう。
実は満足しているのではないのだろうか?
 
「一般的な倫理観」って、なんだろう。
これは難解なテーマだけれど、平たく言えば、モラルの話でしょ。一般的な倫理観って、何?簡単に説明できる人いるのかな。

 憤ってみる

ただ、少なくとも、一生懸命仕事をしている人のことを言っているんじゃないよね?
と信じたい。
会社勤めで、そりゃしんどくてやめたいって思うことも、サラリーマンなら一度や二度は普通にあるでしょ。でも、ひと山越えた達成感とか、そんな些細な満足の繰り返しでやっていけるんです。
それに、普通の会社であれば、経営側も長期的見通しのもとに給料を払うから、一時的なボーナスは別として、どんなに景気が良くて、忙しくても、毎月の固定給となる給料はそんなに上がらないものだ。だから、一時的に忙しくなっても給料があがらないのは普通の会社であり、むしろ、一時的な忙しさだけで、月給が上がったら私なら怪しむところだ。
そういうことも含めて、サラリーマンを知らない人間(仕事で本当に苦労したことが無い、ないし、そもそも仕事をしたことが無い等)が勝手に定義づけしたとしか思えない。
フリーランスの方だって、自分が社長兼従業員になっていると考えれば、上述の苦労や達成感は同じようなものだと思う。
そんなサラリーマンに対して社畜と言っている側に、一般的な倫理観はあるのだろうか?むしろ倫理観が欠如しているのでは?と思うんだけれど。

ところで、社畜に該当する人っているのだろうか?

ここで、最初に戻って「勤めている会社に飼い慣らされてしまい自分の意思と良心を放棄し・・」と言う定義。(これがあっているのか、そもそも、こんな言葉が存在するのか金田一先生に聞いてみたいものだが)これに該当しているっぽい人は、少なからずいそうなのは認める。
たとえば、年寄りだまして、つぶれる寸前の会社の株を買わせる証券マンとかであれば、ズバリその定義に当てはまるようにも見える。でも、それはごく少数であるし、じっくりと考えてみれば、そういう人は会社ではなくて金に魂を売ったんじゃないかと。よくよく見れば社畜の解釈違いだ。
 
それ以外の、会社に迎合やしがみつかざるを得ない、多くの苦労する会社員はどうだろうか?苦労しても会社のために頑張っている人なんだから、倫理観は磨かれているでしょ。聖者とはいかないまでも、普通に普通の人が納得する道徳に基づいた倫理観はあるはずだ。
反対に、せめて、仕事を頑張っている人を卑下するようなことを恥ずかしいと思える倫理観が無いと、人間としてどうかなと思ったりするわけです。
 
ということで、社畜と呼ばれる定義に該当する人は特殊なケースを除いてほとんど存在しないということで、こんな言葉は追放しましょう。呼ばれて、不愉快はあっても愉快な人はいないはずだから。
 
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